成り立ち

『一般言語学講義』はソシュール自身が書いた本ではない。ジュネーヴ大学で行われた3回の講義(1907–1911)の受講生のノートを、弟子のシャルル・バイイとアルベール・セシュエが編集・再構成し、彼の没後、1916年に刊行した。したがって本文はソシュールの草稿そのものではなく「講義の再建」であり、編者はその責任を序文で明言している。

1. 言語学の対象 —— langage / langue / parole

言語現象(langage)は物理・生理・心理・個人・社会にまたがる雑多な総体で、それ自体は科学の対象にならない。そこからソシュールは三つを区別する。

2. 記号論(sémiologie)

langue は「観念を表す記号の体系」であり、文字・手話・儀礼・軍事信号などと同類である。社会における記号の生を研究する一般科学=記号論が構想され、言語学はその一部門に位置づけられる。言語は最も複雑で普遍的な記号体系なので、記号論全体の範型になりうる。

3. 言語記号の性質

記号は「物と名前」の結合ではなく、signifié(所記=概念)と signifiant(能記=聴覚映像) の心的な結合体である。言語は名づけの一覧(nomenclature)ではない——語より先に既成の観念があるわけではない。

所記と能記を上下に結ぶ楕円の図
所記(signifié)と能記(signifiant)。『一般言語学講義』(1916) の図。パブリックドメイン/Wikimedia Commons

4. 記号の不変性と可変性

不変性:個人も共同体も記号を選び直せない。言語は常に先行世代からの「遺産」であり、「合意されたもの」ではなく「甘受されたもの」である。理由は、①恣意的ゆえ議論の足場がない、②記号の数が膨大、③体系が複雑、④全員が四六時中使うため集団的惰性が働く、の四つ。

可変性:時間の中で記号は変化する。あらゆる変化は結局「所記と能記の関係のずれ」として現れる(例:ラテン語 necare「殺す」→ フランス語 noyer「溺れさせる」)。連続するからこそ変化が起こる、という逆説的な関係にある。

5. 共時態と通時態

言語は「純粋な価値の体系」であり、価値は諸項のその時点の配置だけで決まる。ゆえに研究は二つの軸に分かれる。

チェスの比喩:盤面の状態が共時態にあたる。駒の価値は他の駒との位置関係で決まり、一手(通時的変化)は局所的だが全体に波及し、各局面は履歴から独立している。ただし一点だけ違う——チェスの指し手には意図があるが、言語は何も予謀しない(「意識のない指し手」)。

6. 言語的価値 —— 「差異しかない」

言語以前には概念も音も分節されていない。思考は星雲であり、音は可塑的な塊である。langue は両者の間で単位を切り出し、**実体ではなく形式(形相)**を生む。一枚の紙(思考が表、音が裏)は、片面だけを切ることができない。

上に観念の面 A、下に音の面 B を並べ、縦線で対応づけた図
思考の面(A)と音の面(B)の相互分節。『一般言語学講義』(1916) の図。パブリックドメイン/Wikimedia Commons
連鎖を区切って単位(articulus)を示す図
各項は分節(articulus)であり、そこで観念が音に、音が観念の記号になる。『一般言語学講義』(1916) の図。パブリックドメイン/Wikimedia Commons

有名な定式:言語には、積極的な項をもたない差異しかない。ただし記号を全体として(能記+所記)とれば、それは積極的な事実になる。

7. 統合的関係と連合的関係

横軸に連鎖、縦軸に連合系列を配した十字の図
統合的関係(横軸)と連合的関係(縦軸)。『一般言語学講義』(1916) の図。パブリックドメイン/Wikimedia Commons

建築の柱の比喩:柱と梁の関係が統合的、ドーリア式と他様式(イオニア式など)の想起が連合的にあたる。話者は発話のたびに、両方の関係を使って潜在的な体系の中から必要な対立を選び出している。

8. 言語のメカニズム —— 恣意性の制限

記号には絶対的に恣意的なものと、相対的に有契的(motivé)なものがある。仏 vingt「20」は無契的だが、dix-neuf「19」は dix + neuf を想起させ、相対的に有契的である。連合的・統合的な連帯が恣意性を部分的に制限し、体系に秩序をもたらす。無契的な語に傾く言語ほど「語彙的」、有契性が強い言語ほど「文法的」である。

9. 通時言語学

10. 地理言語学

言語の多様性は空間ではなく時間が原因である(「地理的多様性は時間的多様性と呼ぶべきだ」)。同一の言語が別の地点に移されると、双方で独立に変化が起こる。

ある地点の言語 S と植民地の言語 S′ の分岐を示す図
ある地点の言語 S と植民地の言語 S′ の分岐。『一般言語学講義』(1916) の図。パブリックドメイン/Wikimedia Commons

二つの力が働く。**郷土性(esprit de clocher)**は方言的分裂を進め、**交流(intercourse)**は革新を広めて統一する。方言的事実の地理的境界は「波(wave)」として広がっていく。

11. 回顧的言語学

通時態には展望的(文献を追う)方法と回顧的(比較によって祖形を再建する)方法がある。孤立した一つの記号の原形は復元できないが、同源の複数の記号を比較すれば、祖形(例:印欧祖語)を帰納的に再建できる。地質学に似た歴史科学である。言語は人種・民族とは一致しない。シュライヒャーのように言語を独自の進化法則をもつ有機体とみなすのは誤りである。

結論

雑多な言語現象の中から langue を切り出し、それを差異と対立からなる自律的な体系として、まず共時的に記述すること。本書を締めくくる主張はこうだ——言語学の唯一かつ真の対象は、それ自体において、それ自体のために考察された langue である

この体系観・記号観(恣意性、示差性、共時態の優位、langue と parole の区別)は、20世紀の構造主義・記号論・人類学・文学理論・哲学の出発点になった。