前半では、ごちゃまぜの言語活動(langage)から社会的な体系(langue)を取り出すこと、記号が「概念+音のイメージ」であること、その結びつきが恣意的で線状であること、そして「変えられないのに変わる」ことを見ました。
後半は、その体系がどう働くのか、そしてどう変わるのかです。
共時態と通時態:2つの見方を混ぜない
ことばには、時間についての2つの見方があります。
- 共時態(synchronie):ある時点で、いっしょに使われている語どうしの関係。話している人にとって歴史は関係ありません。「いまの日本語」を丸ごと一枚の絵として見る見方です。
- 通時態(diachronie):時代から時代への変化そのもの。
ソシュールは、この2つを混ぜてはいけない、と繰り返します。アルプスをひとつの頂上から眺めるのが共時態。頂上を移動しながら「眺めがどう変わったか」を記録するのが通時態。両方大事ですが、別の作業です。
従来の言語学は通時態(歴史比較)にかたよっていて、「いまの体系」をきちんと記述することを軽んじていた——ソシュールはそう診断しました。
価値:ことばの意味は「まわりとの差」で決まる
ここが講義の核心です。まず 意味(signification) と 価値(valeur) を区別します。
- 意味:その語が指すもの(“羊”)。
- 価値:その語が、体系の中で「ほかの語との違い」によって持つ位置。
貨幣のたとえ。 5円玉の価値は、(1) パンなど“ちがうもの”と交換できること、と (2) 1円玉や10円玉など“同じ仲間”と比べられること、の両方で決まります。語も同じで、(1) 観念と交換でき、(2) ほかの語と対立します。
例:mouton と sheep。 フランス語 mouton と英語 sheep は“指すもの”はほぼ同じですが、価値が違います。英語にはお皿に載った肉を指す mutton が別にあるので、sheep の守備範囲はそのぶん狭い。フランス語は1語でその範囲を全部カバーします。
数・時制・アスペクトも、言語ごとに「分け方」が違うので単純に対応しません。だから「ことばの前に完成した概念がある」わけではない。概念は「ほかでないもの」として、体系の中から立ち上がります。
音の側も同じです。 大事なのは「その音がほかの音と違う」こと。日本語の「ら行」を巻き舌で発音しても通じます(英語なら l と r を混同すると別の語になってしまう)。音素は“それ自体の中身”ではなく“ほかとの違い”で働いている。
有名な定式:言語には、積極的な中身をもった項はなく、差異だけがある。ただし「概念+音」をワンセットにした記号は、まとまりとしては“ある”——積極的な事実です。
統合的関係と連合的関係:ことばの2つのつながり方
- 統合的関係(syntagmatique):文の中で、前後に並んだ語どうしのつながり。「犬 が 走る」。実際に目の前に並んでいます(in praesentia)。
- 連合的関係(associative):声には出していないけれど、頭の中で“仲間”として結びつく語の集まり。「走る」→「歩く・跳ぶ・泳ぐ・止まる」、あるいは「走った・走れ」。目の前にはありません(in absentia)。
話すとき、私たちはこの2つを同時に使って、体系の中から必要な1語を選び出しています。「行進しよう(marchons)」を選ぶのは、marche/marchez との違いと、montons/mangeons との違いを、意識せずに“引き算”しているからです。
メカニズム:恣意性は「部分的に」抑えられている
すべての語がバラバラに恣意的だったら、覚えるのも使うのも大変です。実際には、一部の語は“理由が見える”形になっています。
フランス語 vingt「20」は理由なし。でも dix-neuf「19」は dix(10)+ neuf(9)で“組み立て”が見える——相対的に動機づけられている。poirier「梨の木」も poire + -ier です。
連合的・統合的なつながりが、恣意性に秩序を与えます。無契の語に頼る言語ほど“語彙的”、組み立てで語を作る言語ほど“文法的”だと言えます。
どう変わるか(通時態の中身)
- 音変化:規則的で“盲目的”。意味や体系のことは考えず、音だけを変えます。
- 類推(アナロジー):すでにある語の関係にならって、新しい形を作ること。ラテン語 honos → honor は、「orator : oratorem = honos(em) : x」という比例を解いた結果です。ここが面白いところで、これは**“変化”ではなく“創造”**。新しい形は古い形をすぐには消さず、しばらく共存します(古形が廃れるのは別の出来事)。類推は文法的で、話し手が形の関係を理解していることが前提。まず parole の中で起きます。
- ほかに、民間語源(語源の誤解が形に影響する)、膠着(複数の語がくっついて1語になる)なども扱われます。
ことばと土地:多様性の本当の原因は「時間」
方言の差や言語の差は「距離」のせいに見えますが、ソシュールは「原因は空間ではなく時間」だと言います。同じことばが別の場所に移されると、両方の場所で“それぞれ独立に”変化が積もっていく。だから差が生まれます。
2つの力がはたらきます。郷土性(esprit de clocher)=地元のやり方を守る力(分裂させる)と、交流(intercourse)=人の行き来(広めて統一する)。
新しい言い方は、水面の波のように、発生点から同心円状に広がります(波モデル)。
さかのぼる:祖語の再建
通時態には、前向き(文献を追っていく)と後ろ向き(比較によって昔の形を推定する)の2方向があります。孤立した1語の元の形は分かりませんが、同じ起源の複数の語を並べれば、共通の祖形(たとえば印欧祖語)を帰納的に組み立てられます。地質学に似た歴史科学です。
注意点:言語は人種・民族と一致しません。ことばを「独自の進化法則をもった生き物」のように扱うのは誤りです。
まとめ:この本が変えたもの
やることはシンプルです。ごちゃまぜの言語現象から langue を取り出し、それを「差異と対立でできた、自律した体系」として、まず共時的に記述する。
本を締めくくる一文はこうです——言語学の唯一かつ真の対象は、それ自体において、それ自体のために見られた langue である。
この見方——恣意性、差異による価値、共時態の優先、langue と parole の区別——が、20世紀の構造主義、記号論、人類学、文学理論、哲学の出発点になりました。